メキシコ・シティー再び

 先週帰って来ました。出会いが出会いを呼んで次から次にライブが決まるっていう感じで、一ヶ月の間にフィエスタ(パーティー)や小さなバーでのソロ、路上一瞬ライブなども含めれば生演奏12本、インタビュー4本(ミニラジオ×2、インターネットラジオ×1、テレビ番組×1)受けて来た。特に、メキシコシティーのパンク連中には、いろんな形でお世話になった。
 全てのライブやインタビューはMDに録音してきたので、近々何らかの形にして発表する予定です。ライブの音質こそ悪いが、強力無比なドキュメンタリーCDができるはず。(2年半前のバルカン~スペインの旅を偽ジプシーのCDR“メセチナ地獄”に詰め込んだように)

 張り切って帰って来たわりには、見事にな~んもヤル気が起こらぬまま一週間たった。旅の間、読みにくいローマ字レポートにおつきあいくださった皆さん、お疲れさま。そして何より、2度にわたって漢字に直して転送してくれた市崎君どうもありがとう。

旅の最終ラウンドの報告の日本語版です。

2/27-28(サン・クリストバル・デ・ラス・カサス)
 ティチャたちと、ジェロニモレーベル・San Cristobal version のライブをやった後、二日ほどこの街に残った。バー・タジェーレスで出会ったハイデという綺麗なおねえさんに、ランチェロ(メキシコのトラディショナル)のいいCDを買うのに付き合ってもらう予定だったが、教えられた電話番号が間違いで連絡とれないままに終わった。残念。
 インディヘナのお土産を買ったり、周りの山を歩いたりしてのんびり過ごした。街を歩いてるとティチャ達とも出会い(何しろ小さな街なので知り合いにしょっちゅう会う)熱く再会を誓い合った。

3/1
 メキシコ・シティーに飛行機で戻る。やはりこの街はでかい!

3/2
 XS-grita-radioのパメラにコヨアカン地区を案内してもらう。朝からなんとなく体がだるかったが、トロツキー博物館などを見ているうち、体の力が抜けていく感じ…。長旅をしてると、疲れがたまって時々なる奴だ。パメラとわかれてホテルに戻ったころには熱も出てヘロヘロに。明日と明後日のライブ&フィエスタが、本気でヤバイんじゃないかと不安に襲われながら、一晩苦しんだ。

3/3 Esmeralda でのパーティー
 起きたら下痢も熱もおさまっていたが、相変わらず体に力がない感じ。2/14のパンク・ライブで知り合ったアレハンドロ(メタル・コアバンドをやってる)と恋人のヴェロニカに招待された美大キャンパスのパーティーに行く。
 あまちんと、友達のアランに交代でドラム叩いてもらう。まだ、モノを食ったり飲んだりするのが恐く、体力も戻ってないので一曲終わる度にノドが乾きまくる。しかし、学生達は喜んでくれたし、アンドレスという男からTVインタビューの話も来た。DJからクラブ出演の誘いも来たが、今回はもう、日にちが無い。
 その後、カコという兄ちゃんの家にみんなで移動して、どんちゃん騒ぎ。もうビールを飲んでも、腹に不安がない。これで明日の連チャンライブも大丈夫だろう。自分の体が信じられるというのは、ありがたいものだ!

3/4 Tianguis del Chopo(チアンギス・デル・チョポ) & Bar Arrabal
 怒涛の一日の始まり。まず午前中、Tianguis del Chopoへ。ここは、毎週土曜に開催される、メキシコシティー中のオルタナ系音楽が集まる青空市。メキシコに着いた三日目にここで路上ゲリラ演奏(2曲)した時にカルロスという男と出会い、いろんなライブがドドドっと決まったのだった。

 メトロのブエナ・ビスタ駅から地上に出たところで「ヘロニモ!(Geronimoのスペイン語読み)」と声をかけられた。なんと!3週間前にココで出会い、チェ・ゲバラ講堂などのライブをお膳立てした後、全てを丸投げして姿を消したカルロスが、そこにいた。彼には「このやろう!決めるだけ決めて、後はほったらかしにしやがって!」と文句の一つも言いたかったのに、実際に再会して見ると嬉しさだけがあった。最初と最後をバシッと締める男・カルロス。

 チアンギス・デル・チョポの屋台通りを抜けてステージにたどり着くと、主催者のエンリケ自らが、今日のライブのプログラムを配っている。店を出す連中、見に来る連中、主催者、それに出演者と、皆で作ってるという手作り感が気持ちいい。

 エンリケが「日本から来たヒデヨのプロジェクト、ジェロニモレーベル。皆さん拍手を」と紹介してくれて、いっぱいの客の前で「陳腐」「死ねない男」「カモ」「サメ」「罰当たり幸福男」「お前の言いなり」を演奏。やたら喉は渇くが、野外ステージが気持ちいい! 終わったらすぐ「CDいくらだ?」と声もかかり、物々交換したり売ったり(ただし、かなりのディスカウントを余儀なくされる)してるうち、日本から持ってきたCDもほとんどなくなった。
 ここでは、交流や情報交換に、皆がすごく情熱的だ。今回はもうすぐ帰るんだと言うと「じゃあ次に来るときは連絡くれ。ライブ一緒にやろう」といろんな人が誘ってくれた。(今回の旅を通して)特にパンク・ハードコア連中とはかなり親しくなった。
 
 ライブの後、炎天下でいろんな奴と交流してるとさすがにヘトヘトになった。そのままあまちんと、夜にバー・アラバルでやるフィエスタ(友達数人の誕生パーティー兼俺のお別れパーティー)の準備に向かう。ここでアクシデント発生!ドラムを借りるはずだった友人とのすれ違いで、急きょ借りれない事に…
 アレハンドロやバンバン(Bambam)に電話をかけまくり、なんとかバンバンが遠い家から自分のドラムを運んでくれる事になり一件落着。まったく、ステージに立つ直前まで、何が起こるかわからん…
 
 さて、フィエスタが始まる予定の8時になってもお客は誰ひとり来ない。10時半ごろになって、これまでの静寂がウソのように、急に店の中は人でいっぱいになった。友達のメヒカーナ(メキシコ人女子)やハポネサ(日本人女子)たちも、皆気合いを入れて着飾っている。
 最初は俺が2/14のライブで気に入って呼んだ”Pobreza Extrema(極貧)”という、ハードコア・バンド。こいつら音がカッコいいだけじゃなく歌が誠実な感じがいい。すごくいい奴らだし。その後、“独り偽ジプシー”の俺に続いてアランのアフリカン・バンドMatam。
 ここでパーティーのテンションは最高潮に達するが、演奏が長すぎて(夜中の2時を回り)バーのマスター自らが時間切れを宣告。ジェロニモレーベルは3曲しかできなかったし、張り切って来てくれたMassacre68のAknezたちとのセッションも実現できなかったのが、すこぶる残念。

 だが、楽しいフィエスタだった。友達の家に移動するあまちん達と別れ、帰って抜け殻のように寝た。

3/5~3/7
 あらためて観光に出かけるほどの元気もなく、あまり人と会う事もなくひっそり過ごした。せっかくメキシコに来たんだからと、ランチェロなどトラディショナルのCDを買ったり、泥棒市で有名なTepitoの街をアテもなく歩き回って道に迷ったり…。

 唯一、用事らしい事といえば、アンドレスたちからTV番組の短い取材を受けた。スタジオでのインタビューの後、アンドレスの希望によりメトロ(地下鉄)の中で「サメ」を生演奏。ライブよりも、こっちのほうがずっと緊張する(笑)。

 7日の夜は友達がささやかな飲み会で送ってくれた。

3/8
 早朝、暗いうちに空港着。今回の旅はメキシコ・シティーとサンクリストバルにほとんど定住してたので、今日のフライトはメキシコの景色をたっぷり見る唯一のチャンス。USAに近づくにつれて、岩山や大峡谷や砂漠が西部劇チックに拡がっていた。

 サンフランシスコでの乗り換え時、何の緊張感もなくザックに放り込んでいた、サパティスタ民族解放戦線FZLN(参考までに関西の連帯グループのサイト)のパンフや、ハードコアパンク連中のファンジン(ひと目で反ブッシュ、反戦とわかる)が税関に引っかかった。頭の固そうな税関職員、冷ややかなあざけりを含んだ笑顔でいわく「君は、コミュニストか?あるいはアナーキストなのか?」「あ~、これね。メキシコ行ったら、大学キャンパスとかパンクのライブとかで普通に手に入るけどね」
 彼はその“証拠物件”を手に、職員仲間とひそひそ談笑している。まさか入国拒否まではされないだろうが、あ~…乗り継ぎに過ぎないとは言え「テロと闘うUSA」を通るっちゅうことを、すっかり甘く見てた…。
 結局は、10分か15分ほど足止め食らって彼らの話のネタにされただけで、「さっさと日本に帰れよ」と言いながら放り投げるように返された。権力をカサに着た連中から味あわされる、久々の不快感だった。

 今回の件がなくても、USA乗り継ぎは、今後はできれば避けたいと思う。なんとなれば、乗り継ぎに過ぎないのに機内預かりの荷物をいちいち受け取って、また預けなおすというのはウルトラ面倒だし、全員が靴まで脱がされる荷物チェックも屈辱的だ。
 “テロ対策”の愚鈍なる風景に、延々とつき合わされるのはかなわん…。関空行きの便に乗り込む直前まで、リラックスする暇などなかった。
 
 アラスカ上空から見下ろした、果てしなく拡がる流氷は感動的な眺めだった。

Mexico City futatabi

2/27-28
Ticha tachi to Geronimo Label San Cristobal version no live wo yatta ato, futsuka hodo kono machi ni nokotta. Bar Talleres de deatta Haydee toiu bonita(kawaii) na mexicana ni Ranchero(Mexico no traditional) no ii CD wo kaunoni tsukiatte morau yotei dattaga, osierareta denwa bangou wa machigaide renraku torenaimamani owatta. Zanne—nn!!
Indigenous no omiyage wo kattari, mawari no yama wo aruitari site nonbiri sugoshita. Machi wo aruiteruto Ticha tachi tomo deai (nanisiro, chiisana machi nanode shiriai ni shocchuu au) atsuku saikai wo chikaiatta.

3/1
Mexico City ni hikoki de modoru. Yappari kono machiwa dekai!!

3/2
xs-grita-radio no Pamela ni Coyoacan wo annai shitemorau. Asa kara nantonaku darukattanodaga, Trotzky Museum nado wo miteiru uchi, karadano chikara ga nuketeiku kanjini… Nagatabi no tokini tokidoki naruyatsuda. Pamela to wakarete Hotel ni modotta korowa netsu mo dete herohero. Ashita to asatteno live&fiesta ga yabaino janaikato fuan ni osowarenagara, hitoban kurushinda.

3/3 Fiesta en Esmeralda (Esmeralda deno party)
Okitara geri to netsuwa osamatteitaga, karadani chikaraga nai kanji. 2/14no punk-live de shiriatta Alejandro(Metal-core band yatteru) to Veronica ni shoutai sareta Esmeralda(toiu bijutsu daigaku) no party ni iku.
Amachin to amigo no Allan ni drum yattemorau. Mada monowo kuttari nondari surunoga kowaku, tairyoku mo modottenainode ikkyoku owaru tabini nodo kawakimakuru. Shikasi, gakusei tachiwa yorokonde kureta. Andres toiu otoko kara kaeru maeni TV interview wo, toiu hanashi ga kita. DJ kara club shutsuen no sasoi mo attaga, konkai wa mou hinichi ga nai.
Sonoato, Caco toiu niichan no ieni minna de idou shite donchan sawagi. Mou beer nondemo haraga nantomo nai. Korede ashita no renchan live mo daijoubu darou. Jibun no karadaga shinjirareru toiunowa arigataimonoda.

3/4 Tianguis del Chopo & Bar Arrabal
Dotou no ichinichi no hajimarida. Mazu gozenchuu, Tianguis del Chopo he. Kokowa, Mexico City no arayuru alternative na ongaku ga atsumaru tokoro. Mexico ni tsuita 3kame ni kokode rojou ensou shite, ironna live ga dodododo! to kimattanodatta.

Metro kara chijou ni detatokorode “Geronimo!” to koe wo kakerareta. Nanto! 3shuukan maeni kokode deai, Auditorio Che Guevara nado no live wo ozendate shita ato sugata wo keshita Carlos ga sokoni ita. Kareniwa, “kono yaro! Kimeru dake kimete atowa hottarakashi ni shiyagatte!” to monku no hitotsumo iitakattaga, jissai saikai sitemiruto, ureshisa dakega atta. Saisho to saigo wo bashitto shimeru otoko!

Tianguis del Chopo no Stage ni ikuto, shusaisha no Enrique mizukaraga, kyou no live no program wo kubatteiru. Mise wo dashiteru renchuu, minikiteru renchuu, shusaisha, soreni shutsuensha to, minna de tsukutteru toiu tedukuri na kanji ga sugoku ii.

Enrique ga “Nihon kara kita Hideyo no project Geronimo Label, minasan hakushuwo!” to shoukai sitekurete, ippai no kyaku no maede “Chinpu” “Shinenai otoko” “Kamo” “Same” “Bachiatari koufuku otoko” “Omae no iinari” wo ensou. Yagai stage kimochi ii!! Owattara suguni “CD ikurada?” to koe mo kakari, uttari butsubutsu koukan shite, nihon kara mottekita CD mo hotondo nakunatta.
Kokodewa, jouhoukoukan ya kouryuu ni minna sugoku jounetsuteki da. Konkai wa mousugu kaerunda to ittara, “jaa tsugi ni kurutoki wa renraku kure. Live isshoni yarou” toiu sasoi wo ippai uketa. Tokuni punk no renchuu towa kanari shitashiku natta.

Live no ato, entenka de ironna yatsuto kouryuu siteruto sasugani hetoheto ni natta. Sonomama Amachin to, yoruni Bar Arrabal de yaru fiesta(party) no junbi ni mukau. Kokode accident hassei. Drum wo kariru hazu datta tomodachi tono surechigai no tame karirenai kotoni….
Alejandro ya Bambam ni denwa kakemakuri, nantoka, Bambam ga tooi ie kara hakonde kurerukotoni natta. Mattaku, chokuzen made naniga okoruka wakaran…

Sate, fiesta hajimaru yotei no 8ji ni nattemo okyaku wa daremo konai. 10ji hangoro ninatte, koremadeno seijaku ga usono youni, kyuuni mise wa hito de ippai ni natta. Tomodachi no mexicana (onnanoko) ya japonesa(nihonjin no onnanoko) tachi mo minna kiai irete kikazatte iru.

Saisho wa ore ga 2/14 no live de kiniitte yonda “Pobreza Extrema”. Koitsura ii yatsurade, soshite kakkoii. Sonoato, hitori”Falsos Gitanos” ni tsuzuite tomodachi no Allan no African band “Matam”.
Kokode party no nori wa saikouchou ni tassuruga, ensou ga nagasugite, jikangire ni natta. Geronimo Label wa 3kyoku shika dekinakatta. Soreni sekkaku harikitte kaketsukete kureta Aknez(Massacre68) tono session mo dekinakattanoga zannen datta.
Daga, ii fiesta datta. Amachin tachi wa mada tomodachi no iede sawagu to ittetaga, orewa kaette nukegara noyouni neta.

メキシコ・シティからサン・クリストバル (by 偽日本代理事務所)

tomodachi no Ichizaki kun ga nihongo ni naoshite okutte kuremashita. arigatou!

2/19
チェ・ゲバラ講堂から友達の家に戻り,一日脱け殻のように過ごす。

2/20
しばらく世話になっていたガビィ(ガブリエラ)とダヴィドの家からホテルに移る。ライヴ続きで,毎日人と会いまくっていたから完全に一人になってほっとする。

チアパスに旅するのに,ガット・ギターが欲しいので,楽器屋街をうろつく。terceloraという種類の,ファルソス・ヒターノスのライヴでそのまま使えそうな小さいサイズのを買った。550ペソ(約6000円)。

夕方,xs-grita-radioという,インターネット・ラジオのインタビュー。待ち合わせの地下鉄の駅にパメラが車で迎えに来てくれた。一時間の生番組だったが,俺が遅刻したので(メキシコ・シティの地下鉄はなかなか便利だが,いつも予想以上に時間がかかる),スタジオに着くなりインタビュースタート。スペイン語に時々英語混ざりで前半はジェロニモ・レーベル,後半はファルソス・ヒターノスのことをしゃべる。

そのあと,メキシコ・シティのパンク・ミュージックのキーパーソンであるバムバムが,Massacre68のヴォーカルAknezを紹介してくれるというので,地下鉄のInsurgenteであまちんと合流。Aknez自身が経営する,パンク・ファッションの店に行く。

Aknezはメキシコのパンクのカリスマだけあって,眼光の鋭さは半端じゃないが,実際にしゃべったら温かみのある人柄だ。Massacre68(このバンド名は実際に1968年にあった,軍隊による学生大虐殺からとっている)のCDとジェロニモ・レーベルのCDを交換。俺らがしゃべってる間,バムバムは店にある皮ジャンを片っ端から試着して喜んでいた。彼も見かけはいかついが,なかなか微笑ましい男だ。

Cerveza(ビール)でも飲もうと,4人で近くのバーに行く。Aknezとバムバムはジュースを飲んでいた。昔は酒いっぱい飲んだが,今は飲まないという。今日買ったばかりのギターで「Daño y Provecho(利害)」と「Lo Banal(陳腐)」を歌ったら,Aknezは真剣に聴き入って,「Me gustó mucho(気に入った)」と言ってくれた。3/4のパーティーで,何か一緒にやろうという話になって,あまちんと興奮。

2/21
ピラミデ・デ・ソル(太陽のピラミッド)とピラミデ・デ・ルナ(月のピラミッド)で有名なテオティワカンに行く。メキシコに来て,初めての観光らしい観光だ。バスがメキシコ・シティを離れ,ピラミッドが見えてきた時は単純に興奮した。広い遺跡の中庭そこら中で,焼き物で作った亀の形をした笛(オカリナ)を売っていて,ピイピイとすっとぼけた音が響いていて笑えた。俺も買った。ラーメンのチャルメラみたいな音がして楽しい。

ピラミッド歩き回って,バスでメキシコ・シティに戻ると思った以上に疲れていた。ホテル・イサベルにエレキ・ギターほか要らない荷物を預けて,サン・クリストバル・デ・ラス・カサス(チアパス)行きのバスターミナルに着く。めっちゃくちゃ巨大なバスターミナルで乗る直前になって,空港みたいな荷物チェックがあることが分かり,かなりあせったが無事乗れた。

バスではほとんど寝ていたが,夜中たまたま目を覚ましていたとき,道路に落ちてる何か固いものをバスが轢いたのを目撃(運転席の真後ろだったので真正面がよく見える)。しばらくして,何もないところでバスは止まり,他のバスに乗り換え。

2/22
その後は何事もなく,明け方,Tuxtlaの街に着く。それにしてもシウダード・デ・メヒコからここまで13時間,一度もトイレ休憩がないというのはキツイ…いくら乗り心地がいいとはいえ,からだ延ばせないのはつらい。

Tuxtlaからは,ひたすら山をぐんぐん登っていく。ほんまに,一体どこまで登るんや?というぐらいぐんぐん登っていく。やがて,インディヘナ(インディオ)のpueblo(村)がちらちらと現れ,サン・クリストバル・デ・ラス・カサスに到着。

こじんまりしていて,歩いててうきうきするような街だ。楽器持って歩いているといろんな人が声掛けてくるので,演奏できる場所はすぐに分かった。夜,CircoとRevolucionというライヴ・バーにCDを渡しにいった。Revolucionではトラディショナルっぽいけどちょっとふざけた感じの面白いバンドが,Circoでは地元の人気レゲエ・バンドがやっていた。

2/23
サン・フアン・チャムーラとシナカンタンという,インディヘナのpueblo(村)を訪ねるツアーに参加。ガイドはスペイン語なので,詳しい説明はほとんど分からんかったが,かまどで焼きたてのtortilla(黒いトウモロコシで作った)をごちそうになったり,メルカード(市場)をうろついたり面白かった。Artesania(手芸品)が,安くてとてもカラフルでかわいい。

夜Circoに行くと,Tichaという男が声を掛けてきた。彼はDemonissyという,ちょっとおろおどろしく,ちょっとヴィジュアル系がかったバンドのヴォーカリストなのだが,ドラム叩けるというので,ギタリストのIlhuicaminaがベースを弾いて,「ジェロニモ・レーベル・サン・クリストバル・バージョン」をやることに! Circoのマスター・ルイスが日曜日がちょうど空いてるからライヴやろうと言ってくれた。

2/24
夕方,Tichaの家で練習。家にスタジオがあって,でかい音でガンガンやってるのに隣の部屋では小さい子供が普通にテレビ見て遊んでる。何というか,迷惑をかけるということに関して,メキシコは恐ろしく寛容な感じがする。この日はTichaが自分たちのCDの用事でTuxtlaに出かけていたので,Ilhuicaminaと二人で合わせた。ベースと一緒に演奏するのは2年ぶりだ。

夜,カフェ・Talleresという,アコースティック中心の小さなカフェに行ったら,前にRevolucionで見た,おもろいバンドがたまたまやっていた。店のアンドレスに「ここに来たら演奏できるって聞いたけど…」と言うと,「じゃあ,金は出せないけど,ビールタダにするから今からやるか?」と言うので,飛びこみでライヴ。

ファルソス・ヒターノス中心でやった。やはりマヌー・チャオやメセチナはウケる。何度も「otra! otra!(もっともっと)」と言われ,結局一時間近くやった。アンドレスが明日も空いてるからライヴしようと誘ってくれた。

そのあとは,店の常連らしきパンチョというおっさんにギターを渡し,3時ぐらいまで,彼の歌うランチェロ(メキシコのトラディショナル)で大騒ぎ。めちゃくちゃ楽しい夜だった。

2/25
二日酔いで目覚める。昼間は街をぶらぶら歩き回り,夕方からTichaのスタジオで練習。「陳腐」,「利害」,「サメ」,「カモ」,「お前の言いなり」,「罰当たり幸福男」の6曲を手がける。

一番難しかったのは「サメ」で,簡単に合わせられたのは「カモ」だった。そして,彼らが
一番好きだと言ったのは「(世界は)お前の言いなり」だった。何度もCDを聴いて確認しながら3時間ぐらい練習した。ぼん吉やツダビンスキーのドラムはスゴイ!と絶賛していた。Tichaは「お前の言いなり」で呪文のように繰り返すところをえらく気に入って真似して歌いたがるのが可笑しかった。コイツら,めちゃくちゃ愉快な奴らだ。

夜10時,カフェ・Talleresに行く。夕べがあまりに楽しかったので,はりきって出かけたのだが,お客はほとんどいなくて,遊びに来てくれたTichaやIlhuicaminaを前に寂しく始めた。わははは!

それでも入れかわり立ちかわり,人が入り,途中でラリった兄ちゃんがトランペットで邪魔するというアクシデントを含め,やや寂しくも楽しく終わる。夕べは特別濃い連中が集まっていたみたいだ。普段は割と静かなカフェらしい。昨日も聴いていたマルシアルとセリーナが,「いくつかの曲で,昨日よりスペイン語がこなれていたよ。練習したの?」と言ってくれたのが嬉しかった。

2/26
昨日セリーナたちに誉められたのでいい気になり,ライヴでやる曲をなるべくスペイン語で歌えるように,ホテルでひっそり練習。そして,メキシコ・シティに戻った3/4のパーティーでMassacre68のAknezと何か一緒にやるかもしれないので,Massacre68の曲も軽く練習。かなり速いハード・コアなので,最初聴いたときは,ムリかも??と思ったが,いくつかできそうな感じがしてきた。

後はぶらぶら街歩いて時間つぶし。この街について3日しか経ってないが,歩いていると時々友人に会う。Tichaが「今夜にそなえて聴きまくってるんだ」と,ジェロニモ・レーベルのライヴ盤をウォークマンで聴きながらマードレ(お母さん)と歩いてるのにも出くわした。

あまちんから3/4のフィエスタの準備で苦戦しているとメールが届いていた。ドラムの調達とかで,今回も苦労してる模様。Aknezやバムバムたちに頼もうと思ったが,Massacre68のライヴは人が一杯過ぎて,全然話する余裕なかったらしい。

珍しく,夕方雨が降った。Tichaの家で軽く一通り練習して,タクシーでCircoに行く。8時からスタートというので,「そんな時間は人来ないぞ」とTichaたちは心配していたが,案の定,店は開いたばかり。セッティングして,サウンドチェックしている内にちらほら人が入ってきた。

ルイスからは,持ち時間1時間もらえると聞いていたが,今日はルイスの姿はなかった。店からは,遅れて着いたから持ち時間は30分と言われた。夜は長いし,どう見ても人が一杯来る時間ではないので,納得できなかったが,文句言ってもしょうがない。いったん演奏始めたら何かが起こるだろう。

Tichaたちと一緒にやるのはせいぜい20分ぐらいだから,最初は俺のソロでスタート。Ilhuicaminoが「”サメ”は,君のソロでやった方がいいし,そうしてくれ」と言ってきたので,サメやメセチナを一人でやった。今回のソロ3曲は,メキシコに来て一番寂しいライヴだった。ガヤガヤして誰も聴いてないような感じだった。

だが,TichaとIlhuicaminaをステージに呼び,「3日前に出会ったばかりですが今日一緒に演奏します。ジェロニモ・レーベル・サン・クリストバル・バージョン!」と紹介すると拍手や口笛あり。「利害」,「陳腐」,「カモ」,「(世界は)お前の言いなり」,「罰当たり幸福男」の5曲を演奏。特に,罰当たりの即興の部分では,みんなかなり好き勝手に弾きまくり,お客もかなり沸いていた。

俺らのライヴが終わって,地元のレゲエ・バンドがセッティングを始めると,どんどん客が入ってきた。それでちょっと,この日のライヴそのものには空しさが残ったが,TichaやIlhucaminaという,素敵な奴らと一緒に演奏できたことが何より嬉しい。彼らも,「今度メキシコに来るときは俺らのバンドと一緒にやろう!」と言ってくれた。